羅生門ならぬ紅白の門 ― 郷ひろみ、古稀の決断


 或日の暮方の事である。一人の男が、薄暗い部屋の中で、ただ一人、電脳の海(インターネット)と繋がる玻璃の板(スマートフォン)を眺めて居た。

 其の板の上には、日々移ろいゆく浮世の有様が「とれんど」なる横文字を冠して羅列されて居るのだが、数多ある言葉の中で、一際男の目を惹きつけた四文字があった。「郷ひろみ」である。郷ひろみと云えば、昭和の御代ゆり燦然と輝く、あの白亜の星ではないか。男は訝しげに眉をひそめながら、何故今、この平成を超え、令和も八年を迎えようとする如月の終りに、斯様にこの古(いにしえ)の大提灯が世間を騒がせて居るのかと、指先を滑らせて其の深淵を探り始めた。

 事の起こりは、二月二十六日の晩に放たれた、NHKの「SONGS」と呼称する音楽絡繰(からくり)番組にあった。此の夜の番組は、「郷ひろみ ~七十歳の決意 紅白舞台裏SP~」と銘打たれ、古稀を迎えた其の男の、華々しくも生々しい舞台裏に密着したものだったという。男は七十歳である。古来より人生七十古来稀なりと云ふが、画面の中に躍り出る郷ひろみの姿には、老いの翳(かげ)りなど微塵も感じられない。其れ処か、まるで若き日の豹の如く、あるいは熱き太陽の如く、未だに迸(ほとばし)る生命力と妖艶さを放って居る。

 然し、番組が世間を大いに震撼せしめたのは、彼の若さ故の事ばかりでは無かった。彼は、なんと来年、即ち二千二十五年(令和七年)の紅白歌合戦への出場を以て、実に三十九回目となる紅白の舞台から退くという決意を明らかにしたのである。紅白歌合戦とは、大晦日の夜、老若男女が炬燵に入りながら眺める、謂わば国民的な祭典である。其の祭典の顔とも云える男が、自らの意志で幕を引こうとして居る。男は、玻璃の板に映る郷の姿を見ながら、ふと、羅生門の階(きざはし)に腰を下ろして途方に暮れて居た下人(げにん)の姿を思い出した。郷は、自らその階段を下りようとして居るのだ。いや、下りるのではない。彼は、新たな頂きへ向かう為に、一度其の大きすぎる重荷を置手紙と共に降ろそうとしたのであろう。

 番組内では、彼がこれまで全三十八回に渡って出演した紅白の映像が一挙に流されたと云う。振り返れば、其れは正に日本の歌謡史其のものであった。ジャケットを翻し、軽やかにステップを踏み、「GO!」と叫ぶその姿は、何度となく世の女性たちを狂信の渦に巻き込んできた。男の眼裏(まなうら)にも、輝かしい金色の衣装や、烈火の如き情熱を帯びた振り付けの数々が蘇って来る。彼の歩みは、常に光の中にあった。大衆の目を一身に浴び、一切の隙を見せず、ただひたすらに「郷ひろみ」という偶像(アイドル)を演じ切り、また其れを生き抜いてきたのである。此の途方もない時間の蓄積、其の重圧たるや、凡夫の想像を絶するものであろう。

 だが、人を惹きつけるのは、神懸かった光ばかりではない。強烈な光の裏には、往々にして愛らしい影が潜むものである。「とれんど」の奥底を更に探ってみると、世間の者達が郷の別の側面に対して、斯くも騒ぎ立てて居る事が判明した。それは番組の中で映し出された、彼の日常使いのひとコマであったという。郷が、倉庫のように巨大な外資系の家具店――おそらくは俗にIKEAやらCostcoやらと呼ばれる類いの場であろう――へと赴き、愛犬のための品々を物色する姿が放送されたのである。

 大スター郷ひろみが、巨大な購物車(カート)を押し、庶民と同じ通路を練り歩く。其れだけでも一種の喜劇的(コミカル)な趣があるが、極めつけは自動精算機(セルフレジ)での一幕であった。機械の前に立ち、無機質な音声案内を頼りに、一つ一つの商品をスキャンしていく郷。日頃は数万の観衆を自在に操る彼が、たかが一斤の犬用玩具や寝床の手続きを前にして、戸惑い、苦戦し、されど楽しげに機械と格闘して居るのである。機械の吐き出す言葉に困惑しながらも、愛犬の喜ぶ顔を思い浮かべたのか、ついつい童(わらべ)の様な笑みを溢すその姿。其れは、舞台上の「神」が、突如として「人間」の姿を現した瞬間であった。

 「なんと云う愛嬌だろう」
 男は、思わず独りごちた。

 大衆が彼を「とれんど」に押し上げた理由は、正しくここにある。紅白引退という、ある種の宗教的とも云える厳かな決断を見せつけられた直後に、斯様(かよう)な人間臭く、且つ滑稽(こっけい)ですらある無防備な姿を曝(さら)け出されたのだ。この凄まじい落差(ギャップ)こそが、人々の心を鷲掴みにし、SNSという現代の広場へと感想を吐き出さずにはいられない衝動を生んだのに違いないのだ。

 郷ひろみは、自らの引き際を悟って居る。己が老い衰える前に、最も輝かしい姿のまま、最大の晴れ舞台から身を引くという美学。其れは、ある種、落ちる事を知らぬ桜の潔さにも似て居る。しかし同時に、彼は決して雲の上の存在として消え去ろうとして居る訳ではない。セルフレジでの苦戦は、彼が土臭い日常をも愛し、其処に生きる一人の人間である事を、我々に示して見せたのだ。スタジオでは七曲にも及ぶ壮大なメドレーと、感謝を込めたという「ALL MY LOVE」が披露されたと云う。その歌声は、これまでの全ての歴史を包み込むような、慈愛に満ちたものであったろう。

 男は、長く息を吐き、玻璃の板を机の上に置いた。外はもう、すっかり日が落ちて居る。羅生門に降り注ぐ雨のように、この世には冷たく無常な出来事が夥(おびただ)しく溢れて居る。だが、郷ひろみという一人の男の生き様、其の七十年の軌跡と見事な幕引きの決意は、そんな雨雲の間に差し込んだ、一筋の力強い光のように思われた。彼が完全に舞台を降りる訳ではない。二千二十六年三月には、日本武道館での記念公演の映像も世に出るという。彼の歩みは、まだ続く。ただ、一つの巨大な「祭典との別れ」が、今、時代の変わり目として刻まれたのである。

 「郷ひろみか……。誠に、天晴(あっぱ)れな男である」

 男は、暗い部屋の片隅で、ただ静かに頷いた。それから再び電脳の世界に目を落とした刹那、ふと、全く物語とは無関係な、奇妙極まりない絵柄の並びが男の目に飛び込んできた。それは何の脈絡もなく、ただそこに在るだけの、妖しげなる異世界の窓の如く開いて居たのである。

 下人の行方は、誰も知らない。


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